声をあてるとよくないことがあるってホント?

こんにちは。
発声改善士のトクガワ です。

前回、フレデリック・フースラーが『うたうこと 発声器官の肉体的特質―歌声のひみつを解くかぎ』で綴っているアンザッツについて紹介しました。

アンザッツとは、声を当てる場所のこと。詳しく知りたい方は前回の記事【声をあてる。つまり・・・どこに?何を?どうやって?】を読んでください。

「声を当てる」ということは、ボイストレーニングのレッスンや本を読んだことがある方、声優やナレーターの勉強をしている方にはおなじみかもしれません。

前回、声を当てる場所を紹介したんですけど、大切な事をお伝えしましたが覚えていますか???

それは・・・

声を当てる場所に意味があるわけではない!ということ。発声器官の働きによって声が当たる場所が変わるのです。

声を当てる場所にフォーカスするのではなくて、楽器であるあなたのカラダをどのように使うかにフォーカスしてくださいね。

でも、声をあてる練習ばかりに頼るのもあまりオススメできません。

今回は、前回の記事の終わりに少しだけ紹介した「結果からのアプローチ」による危険性のお話しです。

 

なぜテクニックを学ぶことが危険なのか?

この声のトリセツで時々私が言っていることですが、テクニックは一時的なその場しのぎの方法なんです。

残念ながら、悲しいけれど、それが現実。

何か解決したいことがあったとして、それをテクニックでカバーしようとすることがあるかもしれません。でもそれは、文字通りカバー(cover)でしかないのです。

使い方によってはアンザッツもその一つといえるでしょう。

『うたうこと』にもこう記されています。

歌手がいつまでも、たったひとつのある決まったアンザッツばかりやっていると、そのアンザッツに使われる筋肉の働きだけが過度に強調されて、発声機構をこわすもとになる専門化ということが生じる(それだから「技巧的」練習というのが、何かある声楽曲によってやる練習よりも、もっと危険である場合があるのだ)

技巧的練習、つまりテクニックの練習に走ってしまうと、しばしば悲しいことが起きます。

もちろんテクニックを取り入れることで得られる成果は確実に存在するでしょう。

しかしながらテクニックで得られる成果ばかりに目を向けていると、悲しいことが起きてしまうのです。

ここである生徒の例をみてみましょう。

A君は声について行き詰まっていたことがありました。

そんなとき、先生はA君にある方法で声を出すことを提案します。

当たり前ですが、方法を変えると別の結果が起きます。

でもこのような場合だと、A君に起きた変化はある方法を使ったことによる成果として認識します。

そしてその成果を得られた喜びや感覚に刺激を受け、その方ばかりを使うようになってしまうのです。

「あの時の感覚を思い出して、もう一度できるように」ただひたすら練習を繰り返すような感じです。

声のレッスンではよく見かける光景なんですが・・・

これ、麻薬と同じなんですよ。

さらに最悪なのは、先生の方がそれを唯一の正解だと信じてB君やCさんなど他の生徒にもそれを強制させるケースです。

先生も生徒も、上手く行ったときの感覚を再現することだけに注意を向けてしまうと、薬物依存になったかのようになってしまいます。

そして、悲しい結末が訪れます。

はじめは新しい刺激を得られたことで喜びを感じたA君はその後、マンネリに陥ってしまいます。

一方で、先生は進歩が見えないA君を見放します。

A君も先生もお互いに幻滅。

やがてA君は他の先生のレッスンを受けに行く・・・

残念ながら、この悲しい結末は繰り返されます。

A君は新しい先生の所でも同じ事を繰り返すのです。

声の仕事を目指す人、プロとして仕事をしている人が、いろんなレッスンや養成所を渡り歩いています。

わかりますよね?A君の実例そのものです。

 

声はカラダの使い方の結果でしかない

前回、少しだけ氷山のお話をしましたよね。

目の前に見えている氷の山は、海の上に見えているところだけではありません。

海の中には大きな本体が隠れています。

図にするとこんな感じ。

目の前に見えていることは、ある事象の一部分だけしか表していない、といわれていますよね。

これは声についても同じことなんです。

水面の上から出ているところが声だとしたら、水面の下に隠れているところはカラダの使い方です。

声帯周辺の筋肉をはじめ、さらにその周辺や指先からつま先までを含めたカラダのすべてをどんな風に使うか。

声というものはカラダの使い方をほんの少し変えるだけでいとも簡単に変わります。

もし声について何らかの悩みやトラブルを持っていたり、もっと通る声になりたいとか響きが欲しいとか大きな声になりたいというような望みがある場合は、水面の下に隠れている部分についてアプローチすべきです。

こんな風に使い方を変えてみたら、どんな結果が出るかな?というような研究者が取り組んでいるような実験して、その結果から仮説を立ててまた実験。

新しい結果からまた新しい仮説を立てて実験、というようなプロセスをたどって行くことになります。

回り道のように感じるかもしれませんが、こっちの方がめちゃくちゃ効率が良いんです。

目の前に起きている事実だけにとらわれてしまって、そこに至るまでのプロセスを無視していることは先ほど紹介した「あの時の感覚を思い出して、もう一度できるように」というやつです。

 

「どのようにするか」を大切に!

「あのときの感覚を思い出して、もう一度できるように」という練習、したことありませんか?

私もかつて教わった先生にこんなことを言われたことがあります。

今の感覚を忘れずに、いつでもできるように練習しなさい

気をつけてください!!
これは悪魔のささやきです!!

それを信じて、感覚を再現する練習にばかり熱心に取り組んだこともあります。

結局のところ、それはできるようになりませんでした。

当然です。感覚の再現なんてできるわけないんです。

アンザッツを使って声を当てることで、新しい感覚や体験に触れる方は多いでしょう。

でも、大切なのはその感覚や体験ではないんです。

その感覚や体験をもたらしたのは新しいテクニックを試したからではありません。

テクニックを試したときに、今までとは異なるカラダの使い方をしたために、新しい感覚や体験が訪れたのです。

大切にして欲しいのは、WhatではなくHow。

「何をするか?」ではなく
「どのようにするか?」を大切にして欲しいんです。

以上、アンザッツにこだわりすぎるのも良くないよ、いうお話でした。

ボイストレーニングだけに限らず、学ぶこと全般にあてはまると思うのですがあなたはどう思いますか?

 

私が『ボイスアクティベーション』のレッスンを通じてみなさんにお伝えしていることは、Howを大切にすることの大切さなのです。

世の中の指導者の多くは、Whatしか見ていませんからね。

 

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