数年前、私は原稿の文字が見えなくなることがありました。
下読みの時は問題ないのですが、本番になると、急に文字が見えなくなるのです。
だから、より原稿の文字をしっかり見ることに注力しましたが、原稿を見ようとすればするほど、原稿の文字を認識できないのです。

今回はそれを克服したときのお話。

「見る」ということを繊細に考えてみました。

目(眼球)は「見る」ための器官ではなく、光を通す役割の器官です。
光の情報は目を通過し、脳内にある視覚野が映像として処理・認識しています。

この時点ではまだ映っているだけ。
そこから私たちは必要な部分だけを選択することができます。
ということはあまり実感がないかも知れませんが
視覚野が認識した情報のうち、脳が不要だと判断した情報(映像)は無意識のうちに切り捨てられているのです。
不要な情報を切り捨てて、残った情報だけが「見えて」います。

ということは、私たちは「見る」という行為をしているわけではないのです。
原稿の向き合い方についての時に、原稿を「見る」ことを、受動的な行為だと紹介したことがあります。

視覚野は自分から見たいものや認識したいものを映すわけではないからです。

どれだけあなたが、強烈に見たい!と思うものがあったとしても、それが視界に入らなければ、眼球というレンズに映らなれば、あなたは見ることができません。

見たいものを見るためには、あなたはそれを視界に入れてあげる必要があるのです。
例えば、後ろを振り返って見る、頭をおろして足元を見る、原稿を手に持って見る、
他のどんな例であっても、見たいものが視覚野に映るように、あなたは自分のカラダを動かしています。

ナレーターや声優にとっての原稿や台本との関係も同じ。
原稿を見るのではなくて、原稿を視界に入れてあげるのです。

そうすることで、視覚野は原稿を映し、自動的にそれを必要な情報と判断して認識できるはず。
特別なことは何もしなくてもいいんです。

ですが、冒頭のように、私は視界に入った原稿を「見よう」としていました。
原稿が視界に入っているので見えているのですが、ここからさらに何かをしようとしていました。
より原稿に集中したいがために原稿から見えること以上のものを見ようとしていたからかもしれません。
ですが、それが逆効果でした。

何かをしようととしていたから、脳の意識がそれを処理する方向に向かい、
視覚野の映像よりも重要だと認識したために、原稿の映像が切り捨てられたのだと思います。

原稿を見ようとしなくても、視界に入っているだけで見えている。
そう考えることで見る行為を、だんだんと受動的なものだと考えるようにしました。

そうすると少しずつ視界が広がった感覚が生まれ、いつの間にか本番になると原稿が見えなくなる問題は解決していました。

今回の「見る」ことに限らず、人間のカラダにはもって生まれた機能があります。
ですが、成長して社会性を身につけるにつれ、様々な制約や規則、生活の中で習得したことが増えます。
すると、本来できるはずのことができなくなってしまうのです。
知らず知らずのうちに、私たちは自分の身体が持っている機能を制限してしまっているのです。

今回のように、本来できるはずのことを、繊細に、丁寧に思い出すことで、本来の機能を実現するために必要なことを整理しましょう。
そうすれば、その機能を制限していた不要なことを取り除くことができ、本来あるべき機能を取り戻すことができるでしょう。

特に呼吸や発声については、知らず知らずのうちに自分のカラダを制限してしまっていることが多いんですよね。

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