有名なセリフですね。
今回はこの一言について考えてみたいと思います。

最近まで、分かったような分からないような状態だったのですが、最近ようやく分かってきました。

考えるは思考、感じるは感覚ですから、
まずは思考と感覚の違いについて。
なんだか似ているもののような気がしますが…

思考は、考えたり思いを巡らせたり、ある結果や状態にたどり着くための過程で方法を模索すること。

感覚は、生物が物事を知覚する方法です。

このように似て非なるものなのです。

そして大きな違いが、そのスタート。
思考は自分に関係すること、自分自身の内側から始まります。

今日の晩御飯はどうしようかな?とかオーディションに備えて色々と悩んだり・・・
思考は自分に関係することからスタートします。

そして感覚は外部からの刺激によって始まります。
棘が刺さって痛い、お風呂のお湯が熱い、日射しが眩しい、など全て外側からの情報や刺激があって初めて認知するものです。

これをもとに、
「考えるんじゃない、感じるんだ」を私なりに翻訳してみると、
ーーー
自分の望みにたどり着く方法をあれこれ思索するのではなくて、外部からの刺激を認知することを優先しろ。
ーーー
でしょうか。

外部からの刺激を認知するとは、一体どういうことでしょう。

例えば、熱いという刺激を認知するのはどんなときでしょうか?
当然、熱いものに触れたときですよね。

眩しいと感じるのはどんなときでしょうか?
カーテンを開けたときやトンネルを抜けたとき、日陰から日向に移動したときです。

では痛いと感じるときは?

この例の全てに共通していることがあるのですが、お気づきでしょうか?

これら知覚が起きる直前、ほとんどのケースであなたには行動が伴っているのです。
行動した結果、外部からの刺激を受け、それらを知覚し、熱い・眩しい・痛いと感じているのです。

つまり、行動した結果が「感じる」ということなのです。

さて、ここで再び「考えるんじゃない、感じるんだ」を翻訳してみましょう。
(私なりに・・・ですよ)
ーーー
方法を模索するんじゃない、行動して刺激や情報を知覚するんだ。
ーーー

ですが、「方法を考えること」が無駄だという意味ではないと思います。

望みにたどり着くための過程がより困難な方が、お芝居のストーリーやクライマックスは盛り上がります。
考えることは、いかにドラマチックな作品にするかという意味で大切な過程です。

ただしこれは練習やリハーサルでのお話。
本番が始まったら、考えている暇はありません。
考えている間にもストーリーは進行していきますからね。

本番こそ、この言葉が非常に有効なのではないでしょうか?

以前、ココロとカラダは密接に関係しているとお話ししました。
ココロはカラダに、カラダはココロに影響を与える、と。

まず行動することでものや相手からの刺激を受けとり、知覚することでなんらかの気持ちが生まれます。
つまり、行動が感情を生むのです。

感情を生み出すにはその心理状態にたどり着くまでの過程があるはず。その過程では、自分のことだけではなく、外部の要因もあるはずです。
これを本番の中で効果的に作って行くには、まず行動することが大切だということですね。

以前と比べてかなりクリアに整理する事ができました。

あくまで私個人の考え方ですので、ご参考までに。

 

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