2014年5月21日のBodyChanceでのレッスンノートです。
今回、2つの大きな発見がありました。
1つ目は、私にはアタマの位置を前に置こうとする傾向があるということ。
それに気づいただけでなく、その原因も明らかになりました。
2つ目は、仙骨は立てる必要がない、ということ。
今回は1つ目の発見についてまとめます。
レッスンにて、私は、自分のアタマを前方に置きたい傾向があることに気づきました。
普段、PCに向かうことが多いからかもしれませんが、ほんの少し首を前に出しているようです。
どうやら、その原因は視覚野のマッピングのずれにありました。
「ものを見る」ということについては自分なりの認識がありました。
「見る」のではなく「見える」。
数年前、原稿の文字が見えなくなるという状況に悩まされていた時期がありました。
下読みの時は何一つ問題ないのですが、本番になると原稿の文字が見えなくなる。
かなり苦労しましたが、無事克服できたときに、「ものを見る」という行為についての自分なりの認識が出来ました。
(詳しくは次回アップします)
ですが、その認識にずれがあったようです。
そのずれが原因となって、自分のアタマを前に置こうとしているようでした。
それは視覚野のマッピング。
目に映るものを映像として処理している視覚野の位置を、実際の場所よりも低い場所にマッピングしていました。
視覚野は脳の後部にあります。
後頭部の内側辺りです。
ところが、私が視覚野として認識していた部分は、耳から後側にいったあたりだったのです。
実際の視覚野よりも約10センチメートルくらい低い場所を視覚野だと認識していたようです。
そのため、目に映る情報が届きづらく、情報を取りに行こうと目を前に置こうとした結果、アタマを前に置きに行こうとしていたんだと思います。
そして視覚野の位置を本来の場所に修正してみると・・・
目に飛び込んでくる情報が今まで以上にはるかに多いことに気がつきました。
自分が今行る場所、空間の広さ、周りにいる人や物、それらが見えるくらいに視界が広がっただけでなく、
聴覚も研ぎ澄まされたように周囲のいろんな音が入ってくるようになりました。
もちろん、頭の位置を前に置きに行くこともなくなり、
不思議なことにこれが発声にもいい影響を与えるわけです。
前回のレッスンの記事で触れた通り、2回目に読んだときのフィードバックにも納得です。
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・視覚は情報を受け取っているから、周囲の人・物・文字はもちろん、
本の輪郭や自分の手も「見えている」
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まさにこのポイントと同じ事を、今回はより繊細に気がついたわけです。
視覚野のマッピングをアップデートすることは、身体の動きを伴うわけではないので
外見上は本当に変化がありません。
ですが、こんなにもカラダの使い方に影響を与えるとは・・・
このカラダの変化は、当然ココロにも良い影響を与えてくれるでしょう。
次回は、本番になると原稿の文字が見えなくなった時とそれを克服したときのことをアップしたいと思います。